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インタビュー2014-05-25

二子玉川経済新聞開局3周年記念【東西対談】

 二子玉川ライズ開業から3周年を迎え、第2期事業完成を来年春に見据えています。日ごとまさに音を立てながら変わる「二子玉川」。景観も集まる人も、ハードとソフト両方へ新旧が入り交じるこの街の現在と未来を考えるために、街全体の発展で「キー・パーソン」となる、玉川高島屋S・Cの開発と運営を手掛ける東神開発・常木さんと、再開発第1期事業の運営と2期事業の開発を担当する東急電鉄・渋谷さん、ファシリテーターに地域ブランド商品などを手掛け二子玉川オフィス棟内のシェアオフィスに拠点を置き職住近接を実現しているグラディエ・磯村さんをお招きし、お話しを伺いました。

<Contents>

入社の経緯

都市開発(デベロッパー)とは

「いい街」になるべくしてなった街

「日本一働きたい街」二子玉川

ライフスタイルではなく、場を提供する時代

コミュニティーへのリクエスト

東西連携

二子玉川の魅力・水辺空間

2期事業完了後の二子玉川

広がる二子玉川の「オサレ結界」

二子玉川をもっとよくしていく「パートナー」

入社の経緯

磯村:今の会社を選ばれた理由をそれぞれお聞かせください。

常木:私は1985年入社で30年目となります。工学部土木科卒です。当社の面接の時に初めて二子玉川に降り立ったほどで、東急沿線にもこの街にもなじみが無く、全てが白紙の状態で入社しました。逆にそれが先入観無く働くことにつながり、結果として良かったのでしょう。 最初の仕事は、1989年の玉川高島屋S・C20周年リニューアルに向けての「コンセプトワーク」の関連業務。当社は高島屋グループの商業施設のデベロッパーなので、リテール寄りでテナントミックスをコーディネートするという面白さがありました。当時は二子玉川の「商業のポジショニング」を変えなければならない、というテーマに直面していました。創業時とは異なり、商圏内に競合の出店も出始めて切り崩されていく状況であり、渋谷を始めとする「強い都心」の登場もある中で「ニューアーバンアダルトガーデンシティ」という構想を打ち立てました。「都心でも郊外でもない中間地点としてのゆとりがある商業空間」を創り出して差別化を図りました。 この経験を通してデベロッパーの仕事が分かりました。コンセプトワークを立ててそこにのっとりプランを立て、そのプランに賛同していただいたテナントさんと一緒に商業施設を作り上げて行くビジネスなのだと認識しました。

渋谷:1989年入社です。東急電鉄に決めた理由は、育ちが沿線だったことから。新しい街の開発や変化を見て育ち、この沿線での街づくりが夢になりました。大学は建築の専攻で都市計画を希望していました。マンション開発(たまプラーザ)、学校の移転(港北)、グランベリーモール(南町田)、たまプラーザから二子玉川に。名字は渋谷ですが、渋谷以外の開発を担当して来ました(笑)。

磯村:ご自身で思われるベストジョブは?

渋谷:住宅を考えるのは面白かったし勉強にもなったが、当時は住宅ではあまり「個性」を出すような時代ではなく、そういう意味でたまプラーザテラスやグランベリーモールの商業施設の開発は「街の個性をどう出して行くのか」を考えることができ、良い仕事をさせてもらいました。東急電鉄は観光地を持っていないという沿線の特徴がある中で、例えば南町田という街の個性を考え、容積率400%のところへ50%という「ありえない」プランを持って行きましたね。建築担当としてのグランベリーモールと、プロジェクトマネジャーとしてのたまプラーザテラス、立場はそれぞれ異なったが自分の中でターニングポイントの仕事でした。

磯村:そこでの来街者や住民の反応などエピソードを聞かせてください。

渋谷:当時の国内の商業施設はビル型が多かったのですが、グランベリーモールは、アウトレットモールでアメリカ型ショッピングセンターというオープンモール型の商業施設。会社としても今までのルールを超えた初挑戦でした。来場者は、周辺住民だけでなく沿線内外の広いエリアからあり、駅名自体の知名度が上がりました。そして、沿線のさらに奥へも人が住み始めました。建物の設計という点では、たまプラーザもそうなのですが、駅に「街のエントランスゲート」という意味を持たせた大きな屋根を掛けました。これが鉄道建築協会の最優賞を頂いて、こういう街づくりをしたことで若い世代が街に流入した。当社ならではの「郊外型の開発」ができたかなと思います。

磯村:そういったこれまで手掛けられてこられたプロジェクトを通じて、「街の開発の要」は何だと思いますか?

渋谷:開発というのはその街がターニングポイントを迎えるということ。その観点から、その街の歴史を知り、どういう方向に進むのかをきちんと把握することではないでしょうか。

常木:「コンセプトワーク」ということで考えると、入社してから上司に教えられたことに「デベロップメント(development)の語源」があります。この言葉は写真の「現像」とも訳される通り、今、現れていない価値を具現化(現像)すること、見えてないものを顕在化することが「デベロップメント」であり、それは街の持っているポテンシャルを調べることで出てくる。この街に何をしたらよいかを「自分たちが考える」のではなく、街のもともと持っている要素を調べ、それに沿って行っていくのだ、ということがあります。

磯村:これまでの視察地の中で、好きな街や参考にしている開発エリアはありますか。またその理由は?

常木:こういう仕事をしているせいか、作り込んだ街にはあまり遊びに行こうと思わないですね。独身時代は横浜に住んでいましたが、今でも遊び行くのはみなとみらいではなく野毛や伊勢佐木町界隈です。独特な街の風情を色濃く残した街が好きです。六本木よりは谷根千(文京区から台東区一帯の谷中・根津・千駄木周辺地区)派、という感じ。

渋谷:同じですね。以前、10年間ほど茨城県の農園付き住宅を借りていたことがあり、普段人を集める仕事をしているからか、ふと人のいない所に行きたくなる。沿線でも、大型商業施設もよいし、昔ながらの商店街があるようなところもよい。それぞれの街の魅力がある。一つに絞れない、そこがよいのだろうと思う。さまざまな街の魅力を見て歩くからこそ、さまざまな街の長所を取り入れたいと思う。街の成長には終わりが無いですね。

磯村:二子玉川の街づくりの上で、この街のポテンシャルをどのように捉えていますか?

常木:当社の昔話ですが、玉川高島屋S・Cは、昭和30年代に創業者がアメリカ、ヨーロッパのさまざまなショッピングセンターを視察し、日本でも近い将来、本格的な郊外型ショッピングセンターが成立する、と考えたのが始まり。中でも我々が一番参考にしたのがロサンゼルスのオレンジカウンティのサウスコースト・プラザSCです。そのサウスコースト・プラザは土地の中核にショッピングセンターを創り、その周囲に住宅を開発していくという手法で、今でも段階的に増床やリニューアルを行い開業から50年間、拡張し続けています。 視察団は帰国後、人口や収入や交通網などデータを抽出して街をリストアップ。東京は立川、関西は西宮や宝塚、名古屋は星ヶ丘などが挙がったが、二子玉川の総合評価が将来性を含めて抜きんでて高かったそうです。その時社内では「日本で最初にショッピングセンターを創るという歴史的事業をやるのだから、一番いい立地を選ぼう」と考えたのだとか。それぐらい、当時からこのエリアは所得水準の高さや道路や鉄道の交通状況などの潜在的可能性があったんですね。さらに、東京から西への玄関口でありながらまだ開発が進んでいなかったという点もポイントで、いい街になるべくしてなった街、それが二子玉川なのだろうと思います。

玉川高島屋S・C商圏MAP(玉川高島屋S・Cサイトより)

渋谷:「自然豊かな憩いの街」から東神開発さんの開発によって「憧れの街」となりました。わたし自身も「ちょっとぜいたくしたい時に行く街」というイメージを持って育ちましたね。こういう、都心にありながら郊外の良さを兼備した「住みたい街」は国内でも数少ないのでは。

磯村:長い歴史の中で、最初のコンセプトワークから調整された面はあるのですか?

常木:10年単位でターゲットやテーマなどを意図的に変えています。1969年の創業からの10年は「ワンストップショッピング」をコンセプトとしていて、家の近くで一通りすべてそろう、という利便性がテーマでした。次の10年は「文化提案」。文化施設や講座を創設してガーデンパーティなどを紹介したり、「東京の郊外ライフスタイル」の提案を行ったり。30年目以降は、デベロッパーは極端にトレンドを追求するのではなく「上質な環境や居心地」を追求するべきではないかと考え、街の「環境性」を提案していく中で自然と「おしゃれなママがベビーカーを押してカフェのテラスでお茶しているイメージ」がマスコミを通じて広まりました。狙ったのではないが、そういう方向を予測はしていました。創業から45年がたち、ライズの2期オープンを来年に迎える今、これからの変化についてはわれわれも考えている真っ最中です。

二子玉川公園より多摩堤通り沿いの桜並木と駅周辺を望む(今年4月)

磯村:東急電鉄は二子玉川の再開発事業にあたり「日本一働きたい街」という施策を掲げていますが、常木さんはどうみられていましたか?

常木:オフィスということで言うと、以前、飲食担当をしていた時に立川高島屋に携わりまして、ビジネスによる「接待需要」がないと単価の高い店が出て来ない、つまり、立川には出るけれど玉川には出ない、というテナントさんがあるということが分かりました。また、南館の増築計画立案の際に上階を宿泊施設にするという計画もあったのですが、その際にいくら周辺にクオリティーの高い住民がいたとしても企業がなければホテルの進出は無いと言う話を聞きました。そういう意味で、これからこの街に「働く場所」という要素が加わることで、全部がそろった街になるので、非常に楽しみです。

渋谷:二子玉川のオフィスについては、日本社会の働く環境や働き方自体が変わってきたことが後押しとなった。丸の内のようなオフィス街とは違う職住近接でオン・オフの境目を感じさせない労働環境、二子玉川の自然豊かな「環境」を気に入り入居を決めていただいたケースが多かったですね。

磯村:東神開発では「働く場」についてのプランはありますか?

常木:商業デベロッパーなので店舗をつくることありきで考えていますが、街場の開発の中で店舗が入らない3階以上にオフィスを入れる検討はあります。

磯村:オンオフという意味で、お二人ご自身はプライベートでどのようにこの街を楽しんでいますか?

常木:休日に買い物にも来るし夜は飲みにも出掛けています。実はうちの子どもたちはライズをよく利用しているみたいです(笑)。

渋谷:これは共通ですよね。使い方の幅が広がったことは間違いない。いろいろなシーン、一緒にいるメンバーによって対応できる街になった。

磯村:「住みたい街、働きたい街」の二子玉川。お二人ともお近くにお住まいとのことですが、私も住まいも二子玉川エリアで、子育ても含めこの街の生活者でもあります。お二人は実際に職住接近を実現したことで働き方に変化はありましたか?

渋谷:通勤時間が短くなったことで、時間の有効的な使い方ができるようになった。仕事で悩んだ時には一歩オフィスへ出ると、環境のいい外の空気を吸ったりできる。常木さんとも多摩川の夕景を見ながらレストランで食事もできますしね。

常木:ありましたね(笑)

磯村:両社のエリア開発に関する資料には「共生」「つながる」「コミュニティー」というキーワードが多く見られますが、これは今後この街を開発していくうえで具体的にどのようなことを意味するのでしょうか。

渋谷:もともと街の歴史が「憩いの空間」ということにあって、開発コンセプトの中にも「水と緑と光の豊かな自然環境」があり、ビル型の施設の奥にオープンモールがあるという日本では珍しい設計です。プランを初めて見た時は果たして成り立つのかという疑問を感じましたが、結果的に二子玉川に適した大英断のプランだった。商業施設だけでなく、シネマコンプレックスや放送スタジオ・ホールなど、時間消費型の施設も完成すると、外の空気に触れながら街を回遊して一日を過ごせる。時間の使い方も広がった。「OPEN NEIGHBORS」という開発テーマのもと、さまざまな人々が集まる開かれたコミュニティーの場をつくり出します。

磯村:地域の方を含めた来街者がサービスを受容するだけでなく具体的に関われるようなコンテンツはありますか?

渋谷:1期事業の広場「ガレリア」に加え2期事業では、イベントを開催することのできる中央広場に隣接した放送スタジオ・ホールなどが整備されます。これらの集会場では、どこにでもあるイベントではなく地域の方々に使っていただけるような二子玉川オリジナルなイベントを育てていきたい。また、低層棟の屋上には「地域参加型の食育庭園『菜園広場』」や「はらっぱ広場」など、6000平方メートルのルーフガーデンを整備します。 多摩田園都市開発も60年が過ぎ、今はライフスタイルをご提案する時代ではなく、サポートする時代になってきています。その「場」を提供するということ。住民、オフィスワーカー、来街者が集まるコミュニティーが、買い物だけではなく二子玉川ならではの「体験」をしていただく場をつくりたいですね。

【関連リンク】放送スタジオに貸しホール機能追加-二子玉川東地区再開発計画を一部修正

常木:今、商業ではリアル(実店舗)とバーチャル(オンラインショップ)の競合があり、リアルで足を運んで買い物をしてもらうためには何が必要かと言うと、そこにしかない「環境」だったり「居心地」。もう一つ足を向ける理由は、「人との出会い」で、同じ価値観を持った人が集まれる、出会える空間や機会を創る時代なのだろうと思います。2011年に開設した会員制コミュニティーサロン「玉川テラス」など、お客さま同士のリレーション、コミュニティーとしての場づくりを強く意識しています。

磯村:地域の人たちとはどのような関係性でありたいとお考えですか?

渋谷:「働く」という意識と「住む」という意識を相互に理解し合えたらいいですね。オフィスワーカーと共存するということをご理解いただくと互いの距離が縮まるのではないでしょうか。例えば、コミュニティーと企業が一緒に行う街の清掃活動などを通して同じベクトルに向かって協調できたら。

常木:街の開発に関して、もっといろんなことを相談いただきたいし、お気軽にご相談いただけるような窓口を創設しなければとも思っています。当社は大きなフレームの都市開発計画ではなく、一つ一つ開発を進めるスタイル。各施設に植物の名を付けているのも、街に一本一本植樹していくイメージを表しています。地域の方に当社のコンセプトに賛同していただける方がいれば、さまざまな形を検討しながら一緒に進めて行けたらうれしいですね。 玉川高島屋S・Cももとは外から入ってきた「よそ者」だったわけで、地域からもらった利益を地域に還元する資金還流の仕組みをさらに構築していきたいと思います。「事業所」としての利益獲得の場ではなく、街の一員となって活動をしていきたいです。

磯村:東西で相乗効果を生む取り組みについて何かお考えはありますか。

渋谷:ハードの部分でやれることには限界がありますので、公共空間も含めた街の可能性があると思います。互いに異なる層のお客さまをお迎えしているので、より多様なコンテンツを用意し、街に還元する仕組みを常に考えています。この点については3年間ずっと手探りでやって来ました。東神開発さんと「一緒にやれること」を見つけられれば街として新しいものが生み出せるし、街のブランドとしての価値が上がると思います。

常木:前から思っていることは、これだけ広がった街を回遊する「シャトルバス」。後は、互いのイベントのチケット半券でライズ、高島屋だけでなく商店街などの飲食店で使えるサービスで街全体に人がうまく回って行く仕掛けづくり。例えば駐車場の満空表示の一体化など利便性を高めること、東西の流動性が高まるような取り組みがいいですよね。

磯村:具体的に将来、二子玉川の魅力など、生み出せたらよいなと思うものは?もしくは、そのために必要なものは?

常木:以前、クリエイティブシティー・コンソーシアムで聴講したのですが、1000万都市を流れる多摩川に大量のアユが遡上してくるのは非常に珍しいことだそうです。これは、周辺住民の環境に対する高い意識と上質なライフスタイルに、日本の高い浄水技術が加わった結果。この取り組みは世界に誇れるスキームで「タマガワ方式」として世界に発信できる、「モノ」ではなく「コト」だと思います。

渋谷:多摩川は水辺空間も含め二子玉川の財産。企業と住民が一緒になってこれらの自然環境とふれあう機会があればさらに魅力が増す。水辺空間の有効活用はぜひ実現したいです。2期事業でもそこを踏まえて多摩川や等々力渓谷・国分寺崖線など周辺の地勢を活かした環境を創出します。

【関連リンク】二子玉川再開発事業がJHEP最高認証-地域参加型菜園など屋上緑化・水辺施設で

磯村:お互いに質問したいことはありますか?

常木:2期事業が終わった後、東急電鉄さんは今後この街への関わり方についてどう考えられているのか知りたいですね。さらにいろいろと周辺開発をされるのか、できあがった中でやられていくのか。

渋谷:来年春の開業まではまだ白紙状態です。ただ、大規模オフィスが入居することで、人が動く。そこから生まれるニーズが住宅なのか、商業なのか、国際的なおもてなし体制なのか(笑)、まだ見えて来ないですね。逆に、東神さんはどこまでエリアを拡充・発展していくのですか?

常木:わかりませんねー(笑)。 われわれの考える都市プランニング「エリア」は、多摩川、環八、第三京浜、東名高速に囲まれたエリア内という認識です。今まで同様、一本一本樹を植えるように開発を進めていくことは変わりません。当社では、あえて長期計画を立てていません。その都度機会を得たら検討していきます。数やノルマを決めると無理が起こるので、それはわれわれの望むところではありません。商店街などにもぜひ手掛けさせてほしいと思う物件もありますが、きちんとお話しをしてご理解をいただいた上でと思っています。

(編集部)最近、周辺住民の間では二子玉川のおしゃれなエリア、今までのような普段着では出歩けないような界隈との境目を「オサレ結界」と呼び、これがどこまで広がるのかと話題になっています。この「結界」はどこまでどの方向へ広がって行くのでしょうか。

常木:玉川高島屋S・Cのガーデンアイランドは「246ゲート化構想」と言う位置付けがあります。ここは駅からは遠いが、玉川通りから車で来場するとちょうど商業エリアの入り口になるんですね。玉川通り沿いにガーデンアイランドから始まってマロニエコート、3月に開業したアイビーズプレイスなどが本館や南館までの間に立ち並び、マロニエコートは今年の夏から増築する予定です。例えば柳小路の周辺や南館裏など、まだまだ開発していきたい。これからは、駅周辺だけでなくエリアをもう少し広く考えていきたいとも思っています。

【関連リンク】二子玉川に全層「ロンハーマン」の「アイビーズプレイス」ー街の回遊性促す 

渋谷:当社はまだ2期事業が終わっていないので、ハードの部分よりも地域にお住まいの世田谷の方々を「人的資産」「財産」として、その才能をステージに引き出せる場にして、出会える場を探りたい。それがひいては二子玉川オリジナルになっていくのだろうと思います。

磯村:最後の質問です。これからは「モノを売る」だけでない、地域と連携する中に「新しい商業施設」があるのではないでしょうか?そういう視点から、10年後、今日の「東西対談」(=25日、『フタコ』の日)はどんな日になると思われますか?

渋谷:外から見ると競合のように思われていますが、そんなことはありません。目標は二子玉川の街のブランドをもっとよくしていきたいということで一致している。ただ、まだゴールが見えていない。そういう意味で、少し先のことをこれからも気軽に語り合えるようにできたらと思いますし、こういう連携がすでにあることを若手や外部へ伝えてつないでいくための良いきっかけであればと思います。私たちは同じベクトルを探していて、見つかればすごい力が発揮されるのだ、とお互いに思っていることが、この対談記事で伝わればと思います。

常木:東西合戦=高島屋と東急の戦い、と見られることが多いがまったくそうではないのです。元は東急さんが持っていた土地を譲っていただいてできた物件も少なくない。二子玉川をもっとよくしていくためのパートナーとしてずっと協力し合ってきました。今日が「特別な日」なわけではなく、そういう私たちの普段の姿を外に示せた日という意味で、とても有意義な機会でした。

(おまけ画像・磯村氏のするどい質問への回答に頭を悩ますお二人)

※構成・撮影 小林直子/二子玉川経済新聞

【関連リンク】

東神開発株式会社

東急電鉄株式会社

株式会社グラディエ

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