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東宝スタジオで「川北監督お別れ会」-モスラ祭壇で日本の「特技」の宝を惜しむ

川北特技監督お別れの会・祭壇はモスラをモチーフにした

川北特技監督お別れの会・祭壇はモスラをモチーフにした

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 東宝スタジオ(世田谷区成城1)で2月7日、数々の「ゴジラ」シリーズの特技監督を務めた故・川北紘一さんをしのぶ「お別れの会」が開かれ、同スタジオゴジラ壁画前は一般からの献花であふれた。

「川北特技監督お別れ会」で献花をする宝田明さん

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 昨年12月5日に肝不全のため都内の病院で永眠した川北さんをしのぶ同会。「ドリーム・プラネット・ジャパン」と東宝の島谷能成社長、バンダイの上野和典社長らが発起人となり、12時から東宝スタジオ第6ステージ内で開かれた。

 川北さんは1942(昭和17)年12月5日生まれで、東宝に入社後、特殊撮影係を経て「ウルトラマン」シリーズで知られる円谷英二特技監督や有川貞昌特技監督、中野昭慶特技監督に師事。1972(昭和47)年に特撮テレビドラマ「ウルトラマンA」で初演出して以降、平成「ゴジラシリーズ」と呼ばれる「ゴジラVSビオランテ」(1989年)などの特技監督を務めたほか、映画「ゴジラVSキングギドラ」(1991年、日本アカデミー賞特殊技術賞)、映画「ゴジラVSモスラ」(1992年、第38回アジア太平洋映画祭特殊効果賞)などの作品を手掛け、ゴジラファンから絶大な支持を集めた。2003年には特撮映像制作会社「ドリーム・プラネット・ジャパン」(港区)を設立し、日本の特撮映画に大きく貢献した。

 同会では怪獣「モスラ」をモチーフにした祭壇に川北さんの遺影が掲げられた。同祭壇は白菊350本、スプレー菊350本、カーネーション400本、レザーファン100本を使用して制作されたという。弔辞では、島谷さんが「川北ゴジラは各地の名所を紹介するご当地ゴジラとして好評だった」と振り返り、「東宝の映画作りを実践から教えることで後輩を育成した」と功績をたたえた。また、ゴジラシリーズには第1作から全6作品に出演し、同会に出席した俳優の宝田明さんは「ゴジラ生誕60周年で色々と話し合っていた」と話し、「円谷監督から種をいただいて、特撮という花を開かせた。日本の映画会の宝を失った」と胸の内を明かした。同会は2部制で、合わせて約600人が出席した。

同会に合わせ、スタジオメーンゲートそばにあるゴジラの巨大壁画前では川北監督への一般献花を受け付けた。受付開始後10分ほどで約20人が献花し記帳をした。小学生の頃に初めて見た映画が同監督の「ゴジラVSメカゴジラ」で、それ以来ずっと同シリーズのファンで献花に訪れたという現在31歳の河野さんは、同シリーズに「日本映画の存在感の大きさ」を感じると話し、「自分を育ててくれた。ずっと心の中のある」と惜しんだ。

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